2020-01-01から1年間の記事一覧
えらい時間が空いてしまった。 パッ・グスティについての忘れられないエピソードがいくつかあるので書こうと思う。 あまりほのぼのしていないやつ。 パッ・グスティはかなり女の人が好きな類の男の人であった。 おじいちゃんなんだけど、ガブリーの事は好き…
トリマは便利なDIY道具 トリマは、DIYを行う人の間では恐らく有名だと思われる工具です。 今日初めて触る機会があったので、復習を兼ねて特徴や使い方を述べたいと思います。 トリマ 何をするための道具? トリマは、名前の通り「トリミングするための」道具…
ガブリーとのレッスンを覗かせてもらっていた事もあって、パッ・グスティとの練習は比較的スムーズに進んでいた。 1曲通して終えた頃、途中まで同じ音を叩いていたパッ・グスティが別のパートを叩き出した。 これは日本でガムランをやっていた頃にも体験し…
リンディックのレッスンを受けつつ、日々の生活も少しずつバリに慣れていった。 移動手段がほとんど徒歩だったので、狭い範囲ではあるが顔見知りも増えて来た。 少しずつ周りを見る余裕も出てきて、日本との違いも冷静に見る事が出来るようになった。 当時の…
パッ・グスティとガブリーとのレッスンが始まった。 まずは姉弟子のガブリーの時間。 一応自分も教え子にはなったので、ガブリーのレッスンも堂々と前のめりで見学させてもらえるようになった。 自分が勉強しようとしていたゴン・クビャールという形式のガム…
今日はピアノの白鍵を時間をかけて磨く機会があったので、 その際に調べた情報をまとめようと思います。 ピアノの白鍵の素材はアクリルで、プラスチックと似ています。 なので、プラスチックを研磨する場合の情報を参考にしました。 通常はスタンドバフと呼…
ワヤンに楽器の使用の可否を尋ねると、ゲストハウスの持ち主に聞いておいてくれるとのことだった。 ワヤンに我々がバリの伝統芸能を学びに来た事を伝えると、 「そうなんだ。自分はバリ人だけどガムランは出来ないよ。」 と言われた。バリ人なら誰でもガムラ…
ガブリーとパッ・グスティのレッスンが終わった後、早速2人に相談してみた。 「実はガムランを教えてくれる先生を探してます。外国人にレッスンをつけてくれる先生はいますか?」 ガブリーはパッ・グスティしか知らないと言っていた。 パッ・グスティに聞か…
楽器と舞踊を習いに来た我々は、ともかく先生を探さねばならない。 どうしたら良いか分からないが、とりあえずガブリーのレッスンは覗かせてもらっていた。 仲間たちは踊りに興味があって来た子たちなので、ガブリーのレッスンは私1人で見ている事も多くな…
目が覚めて、またワヤンの元へ向かう。 「スラマッパギ」 「スラマッパギ」 まだ簡単な挨拶だけだ。 1人だけ早く目が覚めてしまっていたので、少しワヤンの元で粘ってみた。 会話はないが、テレビがついておりインドネシア語が流れている。 早すぎて全く聞き…
とりあえずバリに着いて、半年過ごす為の第一歩は記せた?と思うので、プロローグ という文字は晴れて抜かしてしまおうと思います。万歳。 バリの朝、友人たちと合流して管理人室のワヤンの元へと向かう。 「スラマッパギ、ワヤン」(おはよう、ワヤン) 「…
マクドナルドからさらに車を北へ走らせる事30分。 マクドナルドくらいまでは非常に平坦な道を快調に飛ばしていたのに、北へ進み山を上がって行くにつれ、どんどん道は凸凹になっていった。 我々が辿り着いた街の名前は、ウブドというところだった。 スペル…
絶不調で車に乗り込んだ私は、ガンガンに冷房の効いた車内で腹痛に耐えながら後部座席に大人しく座っていた。 車はトヨタのキジャン。 バリではちょっといい車に乗っているな、と思って見るとキジャンだったという事が多かった。 トヨタ、いすず、ヤマハ、ホ…
ガムランに魅入られてからはのめり込むのも早かった。 それまで授業で教材としてボーッと見ていただけだったビデオも面白い。 先生が熱く語っていた謎の専門用語も面白い。 先生がふざけてやっていた(と思っていた)口頭伝承も真面目に聴けるようになった。…
バリの朝の匂いは日本のものとは違う。 南国の匂いなのかと思っていたけれど、後年行ったハワイやタイやグアムではそういう匂いはしなかったので、バリ特有の匂いなのだと思う。 人々は本格的に暑くなる前、早朝から動き回っている。 バリ島の人々の暮らしは…
大学生の頃、半年ほどバリ島に住んでいたことがある。 現地の音楽にハマり、きちんと習ってみたいと思った事がきっかけだ。 現在直接関係のある活動は出来ていないが、#おうち時間というものが 久しぶりにしっかり取れているこの時期に振り返っておきたいと…
お題「#おうち時間」 横浜に住んでいます。 いわゆる「横浜」というよりは、一応横浜、という所です。 マツコ・デラックスさんがかつて「そこなら許せる」と言ってくれたこともある 許された横浜市民です。 コロナ禍で外出も仕事も日常の買い物すら制限され…