バリに半年住んでいた時の話 その9

えらい時間が空いてしまった。

 

パッ・グスティについての忘れられないエピソードがいくつかあるので書こうと思う。

あまりほのぼのしていないやつ。

 

パッ・グスティはかなり女の人が好きな類の男の人であった。

おじいちゃんなんだけど、ガブリーの事は好きでよくプライベートな食事も共にしていた。

 

同じ先生で1人がお気に入り、もう1人(自分)がそうでもないと妬みのような気持ちが湧いたりする事もあるが、この件に関して私は全くそのような気持ちにならなかった。

 

日本から一緒に来ていたメンバーのミチは、弟子でもないのにめちゃ気に入られていた。

なので、自分の練習にミチがいるとパッ・グスティの機嫌も良く、よく一緒に来てもらっていた。

 

デワワルンに何故か3人で一緒に行く機会があり、ミチの分をパッ・グスティと私で割り勘させられたり(でも私の方が多めに払った)、ワルンで買った飲み物を何故か私が3人分払った事もある。

 

『外国人が現地の人に伝統音楽を習う場合、よくあることなのかな』

と当時の自分は思っていた。ミチには練習に付き合ってもらっていたし。。。

確かにインドネシアより日本の方が経済的に当時は少し豊かだったのもあり、金銭感覚がかなり異なる場面に遭遇して色々と価値観がぶっ壊されていたところではあったのだが。

 

ミチは好奇心旺盛なタイプだったので色々な事を面白がってついてきてくれたが、ちょっと危ない目に合わせてしまったことがある。

 

ガブリーがある日、『パッ・グスティはマッサージが上手い。神通力がある。2人も受けてみないか』と誘って来た。

 

みんなで行くのかと思いきや、1人ずつ部屋に入って受けるのだと言う。

何故なら、神通力は特別だから。

 

流石にちょっと嫌だな、と思ったが断るのも悪いのかなと思い我々は受けることにした。

ガブリーも何度か受けたと言っていたし。

 

部屋に入って驚いた。

下着姿になってうつ伏せになり、薄暗い部屋でおじいちゃんにひたすらマッサージをされるのだ。

神通力は全く感じなかった。

バリに来てから酷くなっていたヘルニアは治ったが、それは彼の神通力とは関係がなさそうだった。

 

それ以上おかしなことがあったわけでは特にないが、日本だったら絶対受けない話だよね。

日本で友達に『あの人には神通力があるからマッサージを受けてみろ』って言われたら多分断るだろう。

 

支払いの件にしても、マッサージの件にしても、価値観が色々ぶっ壊される過程で起きた事件だった。我々以外も、現地では大抵おかしなことに巻き込まれた経験をみんな1個は必ず持っている。

 

・日本ではすごくお堅い後輩に突然現地彼氏が出来る

・ひたすら現地の人に貢ぐ日本人の先輩(お金持ちではない)

・現地の人に、芸術の魂を注入するとか言われて初対面でキスを受け入れた男

・何かに取り憑かれて突然泣き笑いが止まらなくなる友達

・画家に絵のモデルになってくれと言われ、突然ヌードになる先輩

・現地彼氏(実は婚約者あり)に弄ばれてお金を取られる友達

・日本ではモテないのに、めちゃくちゃストーキングされた友達

 

みんな、上の話特殊だと思うではないですか。

自分も日本にいて上の話だけ聞いていたら、話してくれた人がおかしいか、話を盛られた、と思ったと思う。

 

でも自分は実際に経験して、見聞きして知っている。

本当の話なんだと。

 

今から海外に留学する方がもしこれを見てくれていたら、声を大にして言いたい。

誰にでも起こり得ます。

何もなかった人を、私は少なくとも1人も知らない。

 

一つ言える事は、何らかの形であなたを利用しようと近づいて来た人とのつながりは大事にする事はない。

 

あと、もしも一瞬でも『ヤバイな』と思ったら、その直感は多分正しいので頑張って立ち止まって、その場を全力で離れて下さい。

 

現地の先生につく場合、支払いが発生したり、しない場合はこちらも心苦しいので厚意で何かをさせてもらう事はあるけど、それってもっと厳かな感じの事だった。少なくとも自分や、自分の周りでは。

 

ちなみにその後もガブリーとはいい友達だったし大好きなまま離れたし、パッ・グスティとも穏便にお別れしました。

 

2人とも元気かなー。

トリマの使い方を覚えた話〈DIY的な話〉

トリマは便利なDIY道具

トリマは、DIYを行う人の間では恐らく有名だと思われる工具です。

今日初めて触る機会があったので、復習を兼ねて特徴や使い方を述べたいと思います。

 

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トリマ

 

何をするための道具?

トリマは、名前の通り「トリミングするための」道具です。

木材の縁の飾り加工をするための木工電動工具で、トリマーとも呼ばれます。

 

何処に使われてる?

・引き戸のレール

・棚の縁

・家具の面取り

・棚の受け

・棚や戸の持ち手

 

などなど、あらゆるところに使われます。

棚や机、本棚なんかの角って、怪我をしないように角が取れていたり、丸い形に縁取ってあったりしますよね?

あれらの加工を行うために使われる機械です。

 

一緒に用意した方が良いもの

トリマを使用する際、必ず用意した方が良いものがあります。

 

・安全メガネ

・マスク

 

粉塵が物凄くたくさん出るので、目に入ったり吸い込んだりしなくて済むように最低限この2つは用意しましょう!私は昨日初めて使って不慣れだったためか、顔が近すぎたのか、上の2つを装備しても、ちょっと目や口に入ってしまいました。

 

次に用意した方が良さそうなものは

 

・直角定規(小)

・作業精度を高めるためのガイド

 

です。直角定規は、ビット(ドリル)の先端をどれくらい出すか決める際にあると便利です。ベースにしっかりつけて先端の長さを測れます。

 

ガイドは熟練者には不要かも知れないのですが、作業の精度を高めるために、ガイドが必要なところはガイドを作成してから作業に臨むと良いと思いました!

 

使用する際の注意点

・ドリルの先端の長さを調整する際には、コンセントは必ず抜いて行う。

・コードが絡まないよう、背中に背負う等工夫する。

・モーターがきちんと回転し始めてから木材につける。

・トリミングをしたい箇所をしっかり目視で確認しながら作業を行う。

・加工の際はトリマ本体ではなく、材に近いベース部分を持って安定させる。

・溝を掘る際は木材を削った後、同じルートを通って掃除すると良い。その際、削る際よりスピードは早めて大丈夫。

・刃の先端は3mmくらいまでにしておくと良い。一度に削ると材もドリルも傷めるし、作業精度も落ちる。

・物によって、クランプ等でしっかりと固定する。

・加工を終了する際は、掃除まで終えた後少し逃して止めてから機械を離す(溝加工の場合)

・ドリルを購入する際は、トリマのサイズに合うか確認する。インチサイズを買ってしまうと差し込み口にサイズが合わないので注意!

 

使用前後のドリルのケアについて

CRC等の油をウェスに少量含ませ、使用前後にドリルに塗布してあげると刃が長持ちするそうです。

 

以上、トリマの使い方について簡単なまとめでした。

便利だし工具の形も可愛いし、今後もぜひ使って行きたいと思いました。

手作業でやるとしたらカンナとかになるのかなあ。。考えた人すごいです。

使っていても木材がたくさん綺麗に削れて楽しかったー!!

 

バリに半年住んでいた時の話 その8 

ガブリーとのレッスンを覗かせてもらっていた事もあって、パッ・グスティとの練習は比較的スムーズに進んでいた。

 

1曲通して終えた頃、途中まで同じ音を叩いていたパッ・グスティが別のパートを叩き出した。

 

これは日本でガムランをやっていた頃にも体験した事がある。

コテカンというやつだろう。

 

一方で

「ネンノネンネノ」、と叩いている向かいで「ッノネッノッネノ」と叩き、

それらのリズムを組み合わせることで1つのリズムパターンが完成する。

「番い(つがい)リズム」だ。

 

「もしまだここでの時間があるなら、あなたの今叩いている「ポロス」に加えて、「サンシ」も覚えてみるといいよ」

 

簡単に説明すると、

「ポロス」は表拍で「サンシ」は裏拍だ。

ウブドでの生活も10日ほど経っており、残すところはあと4日程かというところだった。

 

「覚えてみます、ありがとう」

 

たった10日ほどの間だったのに、仲間内では気に入ったお店や行きつけのお店も出来たし、

タトゥー屋さんも怖くなくなったし、ガブリーやメアリという友達も出来た。

 

留学前、現地に行った際に特に注意すべき事について、学んでいた事が幾つかある。

バリ人に対してと現地にいる外国人に対してで異なる事は、いくつかあったと思う。

例えば

 

・頭を撫でない(特にバリの子供に対して。理由:精霊が逃げてしまうから)

・握手の際等に左手を使用しない(特にバリ人に対して。理由:不浄の手だから)

※今のトイレ事情は分からないが、当時まだまだトイレを使用した後に左手で水をすくってその水で綺麗にするという事もあり、左手は不浄の手とされ食事や握手では使わないように言われていた。

 

というものがあったが、恐らく万国共通の人に対してやらない方が良さそうだと解釈したものに

 

・政治の話をしない

・宗教の話をしない

 

というものがあった。

なので基本的に政治や宗教の話は避けるようにしていたのだが、ある時メアリとブッシュ元大統領の話題になった事があった。

 

現在のトランプ大統領ほどではないが、確か民主党と比べると右寄りに感じる政党だったと思ったし戦争もたくさん行っていたし、当時は主張が強い人だな、と思っていた。そしてブッシュ大統領が選ばれた際にメアリに「ブッシュさんは強かったね。アメリカでは支持されているんだね?」と聞いたところ、「オラン アメリカ ムンジャディ ボドー(アメリカ人は、バカになった)」と返って来て笑ってしまった事があった。

 

タブーはあるし仲良くなった友人とでも避けた方が良い話題や通すべき礼儀は勿論あるが、若者同士では話せる事もなくはなかったし良い経験が出来たと思っている。

 

今のテクノロジーや格安航空券が当時もあったら・・・と現在の若者を羨ましく感じる事も物凄くたくさんあるが、平和で親世代が普通家庭でも比較的自由にさせていてもらえ、戦争も国際情勢も今より穏やかでウィルスも今ほど新種のものが短い周期で出て来ておらず、良い時代だったのかなと懐かしく感じる事もあるのだ。

 

また、ガブリーはデンマーク人なのに英語がペラペラなので、何故なのか理由を聞いた事があった。すると、デンマークでも英語の話せない人はいるが大学生は大学で行われる授業が英語なので必ず覚えるのだ、と教えてもらった。

 

良い点悪い点それぞれあるのだと思ったが、実際後で出会った他の国の外国からの留学生を見ていても、特にヨーロッパから来た人々については皆英語でネイティブ並みの会話をしていたので、少し恥ずかしく思った。

 

その代わり、インドネシア語の発音は欧米人には特有の癖があり、日本人の方がバリ人に近い発音で話す事が出来た。

 

例えば、「いらない」という言葉。

インドネシア語では「tidak mau」という。

文章で書くと「ティダマウ」なのだが欧米の人は「ティダッキ マアウ」と発音する。

 

この辺は言語族なんかの違いを分析出来たら面白かったのだと思うが、何せ怠惰な方の大学生だった自分はそこを掘り下げる事もしなかった。

もったいない。。

バリに半年住んでいた時の話 その7

リンディックのレッスンを受けつつ、日々の生活も少しずつバリに慣れていった。

移動手段がほとんど徒歩だったので、狭い範囲ではあるが顔見知りも増えて来た。

少しずつ周りを見る余裕も出てきて、日本との違いも冷静に見る事が出来るようになった。

 

当時のバリと日本で違うな、と思った事は

 

街の様子

・椰子の木はちょっと裏道に行くと普通に生えてる

・歩道が歩きにくい、穴が空いてる

・朝はみんな忙しそう

・お祈りやお供えを毎朝必ずちゃんとする

・朝以外はめっちゃみんな話しかけてくれる

・タバコはバラ売りもしてくれる

・物の値段がお店によって違う。外国人料金は存在するので、仲良くなると良い。

・お店では飲み水やおしぼりは出ない

・ゴミめっちゃ落ちてる。ポイ捨て天国

・停電が割と頻繁にある。

・犬は汚れていて、追い立てられている事が多い。時々立派な犬が通ったな、と思うと連れて歩いてるのは絶対欧米の人。

 

住居の様子

・お湯は出ない

・湯船はない

・水道水は飲めない

・時々雨漏りもする

・結構大理石のような硬い石のスペースが多いので腰痛持ちには辛い

 

ゲストハウスから街の方へ行く時に必ず通る黄色いタトゥー屋さんがあった。

そこには、タトゥーの入った色黒のお兄さんたちがいて、ちょっと怖いなと思っていたので5回に一回くらい遠回りして帰る事もあった。

 

ある時ついに呼び止められてしまった。

一番怖そうなロン毛でヒゲの兄ちゃんに話しかけられた。

「お前たち最近よく見るけど、何してるんだ」

「バリの音楽や踊りが好きで、教わりに来たんだよ」

「俺はバリ人だけどそういうものを勉強しに来る気持ちはよく分からない。でも日本人は外国人の中でも好きだよ」

「どうして?」

「肌は少し白いけど、目も髪も黒いだろ、俺たちと同じ色だ。同じアジアだ。」

タトゥー盛り盛りで強面の兄ちゃんだったけど、この会話をきっかけに遠回りをする回数が10回に1回くらいになった。

 

ただ日本から来た大学生だったけど、ここで我々が悪い事をするとそれが出会った人たちにとっての日本人のイメージになってしまうから絶対に気をつけようね、という話を仲間たちとしたのもこの頃だった。

 

留学生という身分はその場にいる事は保証されているけれども、日本からインドネシアへの普通の留学生はアルバイトも出来ず何ともふわっとした身分だった。今思うと何と贅沢なと思うけれど、当時は心許なく心配だった。当時はまだ今よりも日本は金がある国だと思われており、その金のある国から悠長な学生が道楽のために来たと思われる事も心配だった。

 

まだ我々の顔見知りと呼べる人はワヤンとガブリー、ガブリーの友達のメアリ、パッ・グスティ、デワワルンのお母さんとお兄さん、行きつけの雑貨屋さんのお姉ちゃん、電話屋さんのおじちゃん、タトゥー屋さんのグデくらいだったけど、それでもこの地に来させてもらったからには、せめてきちんと生きていかねばという気持ちにさせてもらったのだった。

バリに半年住んでいた時の話 その6

パッ・グスティとガブリーとのレッスンが始まった。

まずは姉弟子のガブリーの時間。

一応自分も教え子にはなったので、ガブリーのレッスンも堂々と前のめりで見学させてもらえるようになった。

 

自分が勉強しようとしていたゴン・クビャールという形式のガムランとは異なり、

リンディックは両手で音を奏でる事が出来る木琴のような楽器だ。

竹で出来ているので竹琴でも言えば良いのだろうか。

 

そう言えば、「木琴」って「琴」というより打楽器なのになんで「木琴」なんでしょう。

今思いついた、不思議。

(ここで調べてみたところ、「琴」にはあの弦楽器の琴の意味と、鍵盤or音板を持つ楽器を指す意味があるそうです。google先生に伺って乱暴にまとめてしまいましたが、違うよ!と思われたらすみません・・・)

 

このリンディックという楽器、2週間しかレッスンを受ける時間は無かったのだが、面白かったのが、曲中に

・左右でオクターブ違いのユニゾンを奏でるパターン

・左右でハーモニーを奏でるパターン

・右手でメロディ、左手で伴奏を奏でるパターン

・左手でメロディ、右手で伴奏を奏でるパターン

がある、という事だ。

 

ちなみにゴン・クビャールは一貫して右手で音を出し、左手で止めるという鳴らし方をする。

それに比べると少ない楽器でたくさんの音が出せるという事だ。

 

リンディックで使われる音階はスレンドロ音階なので、音数は西洋音楽平均律よりも少ないのだがその分音のリズムパターンをミニマルに組み合わせて楽しめる音楽となっている。

 

音数が多いにも関わらず、他のバリガムランと同じように口伝である為、音数が多くて覚えるのが大変かなと思った。

 

しかし、パッ・グスティが教えてくれたのは基礎の曲だった為か、各セクションが短かく繰り返して繋ぐパターンが多かったので、何とか覚えていく事が出来た。

 

初日はとりあえず曲の前半部分、それから曲中に出てくるリズムパターンの習得の為の練習を行った。

 

文章で書くと野暮ったくなってしまうのだが、

右手:ラッファラッラファッラッファラッラファッ/・・・・

と繰り返している間に、

左手:ラッラッラッラッラッラッラッラッラッシッシッドッドッシッシッラッラッミッミッドッドッシッシッラッッラッファッファッミッミッファッファッラ・・・

という具合に、右手で「ラッファラッラファ」という音を鳴らしている時に左手のメロディを奏でるという練習だ。

便宜上ドレミで書いているが、本当はこれは

 

「ネンノネンネノ」

 

で覚えるべきだった。

当時は曲を覚えるのに夢中で、自分にとって当てはめやすいドレミで頭の中で変換して覚えてしまっていたのだが、長い目で見たら「ネンネノ」で覚えた方が良かったな、と思っている。

ガムランに関しては好きなだけに後悔している事も結構たくさんあるのだけれど、これも後悔している事の一つだ。

 

その時聞いた音に近いと思った音を勝手に当てはめていたのだが、本当は楽器毎に調律が違っているので、バリでのレッスンで使ったリンディックは

「ミ ファ# ラ シ ド#」で聞こえていたのに、このブログを書いていて懐かしくなってしまって楽天でポチったリンディックは

「ファ ソ シ ド レ 」

に聞こえるのだ。

 

使われている音律(隣同士の音程の違い方)は大体同じなので、その個体に慣れてしまえば演奏に差し障りはないのだが、歌って覚える時とか他の人と口ずさんで合わせたりする時に不便なんです。

 

ここについては急がば回れだったな、と思います。

もしくは、並行して無理にでも詰め込んでしまえば良かったな。

ブログを書いていることで少し復習にはなっているけれど、最近演奏の機会が減ってしまった事が惜しい。

 

もし民族楽器とか伝統楽器を勉強されている方がいたら、きっと現地の音はそのまま覚えられた方が楽しめるのではないかな、と思います。

 

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リンディック

バリの事を思い出して記事を書いていたところ、懐かしくなって買ってしまったリンディック。

 

本当はムービーをサクッとアップ出来ればもっと楽しめると思うのですがそこも追々勉強していきます。

 

 

ピアノの鍵盤の磨き方

今日はピアノの白鍵を時間をかけて磨く機会があったので、

その際に調べた情報をまとめようと思います。

 

ピアノの白鍵の素材はアクリルで、プラスチックと似ています。

なので、プラスチックを研磨する場合の情報を参考にしました。

 

通常はスタンドバフと呼ばれる機械で艶出しを行っていますが、このご時世で仕事が激減。

お陰で時間をかけて手磨きに取り組む事が出来ました。

 

折角なのでまとめておこうと思います。

 

紙やすりを使った艶出し

#600→#800→#1000→#1200→#1500→FMC–830P→ピカール

 

本日のところ耐水ペーパーを使用して、上記の番手通りに行うのも悪くないなと思いました。コンパウンドピカールを使う際は、当て木+ウェスで。

 

コンパウンドを使った艶出し

今日の結論は、中目→極細目→FMC830−P→ピカールの順が良かったかなと。

 

耐水ペーパーは番手が明記してあるのでかける順番に迷う事はありません。

コンパウンドもメーカーが統一されていればそんなに迷う事はないと思うのですが、

残念ながらうちにあるコンパウンドは不揃いでした。

 

基本的な事なのですが毎回忘れて調べてしまうので…今回こそきちんと覚えきるぞ!

中目

紙やすりでは、#800〜#1000程度に該当するとのこと。

研磨力が強く、作業効率は良い反面、対象によっては傷が残ってしまう事も。

バフなら固めのバフにつけて使用すると良いようです。

 

細目

#1200〜#1500程度の紙やすりに該当。

こちらは固めのウールバフにつけて使用するようです。

 

極細目〜超微粒子

#2000〜#3000程度に該当。

仕上げにも使用可能。中目や細目で付いた傷を消す事も出来る。

柔らかめのウールやスポンジバフに塗布して使用すると良い。

 

その他、使ったもの

FMC830−P:#1500のペーパー目を消して、光沢を作ってくれます。

ワックス成分も配合されています。

ピカール液状:#4000〜#5000相当との事。

 

今日の私の場合ですが、

 

・ペーパーを使った場合はやはりなるべく細かく番手を上げていく事

・ペーパーは傷が多いところでも#800から、更にひどくても#600からやれば十分だと思った。

・仕上げをコンパウンドで行う場合、ペーパーで1500まではかけてからFMC830–P→ピカールに移行したら仕上がりの調子が良かった事

・本日は当て木とウェスを使用したが、余裕があればスポンジやフェルトで試してみたいと思った。

コンパウンドの番手、間が抜けてしまっているところもある。今日で言えば、細目と仕上げ剤がなかった。もしそれらが揃ったらどれだけ仕上がりが変わるか実験してみたい…。

 

白鍵磨きまとめ

元々本日手磨きを試した理由は、

 

・他の人が仕上げたピアノの白鍵の表面が溶けているのが嫌だった。いくら傷が消えていても、塗面が溶けてデロっとした見た目の鍵盤をピアニストに弾かせるのは気が引ける。

・作業場の機械設備を後輩が優先使用する事になっており、使いにくかった。

・最近バフを使っていた人間の手入れが悪く、手入れをしてあげないと使いにくい状態だった。それにも関わらず優先順位の関係で作業時間がなかったので、苦肉の策であった。

 

…という、職場事情が伺い知れるしょうもない理由によるものだったのだが結構有意義な時間に出来たと思う。自分も検証していてタメになったと思った。

 

普段最低限のペーパーとバフであれば3時間くらいで仕上がるクオリティでやるのだが、今日は冒頭で実験したり、調べつつ行った事もあり、5時間ほどかかった。

 

次回はこの記事を読みながらやれば、少しずつ時間が短縮していけると思う。

 

仕上がりをチェックする上司陣は大ベテランなので、白鍵の表面が溶けていても見えていないので不出来な後輩としては助かりますが、ピアノを購入されるのはお客様。

 

ピアノ屋さんでピアノを購入される際は、皆さんちょっと目を光らせて見て下さい。

そういうお客さまにも選んでいただけるように、精進しておきます!笑

 

 

 

 

 

 

バリに半年住んでいた時の話 その5

ワヤンに楽器の使用の可否を尋ねると、ゲストハウスの持ち主に聞いておいてくれるとのことだった。

 

ワヤンに我々がバリの伝統芸能を学びに来た事を伝えると、

「そうなんだ。自分はバリ人だけどガムランは出来ないよ。」

と言われた。バリ人なら誰でもガムランやバリ舞踊が出来るわけではないらしい。

興味もそんなになさそうだった。

 

ワヤンはこのゲストハウスに勤めている事もあり、外国人客への対応をせねばならないという事で語学の方に興味があるようだった。
英語はバリ人独特の癖が多少あったものの、我々よりも単語もよく知っていた。

インドネシア語が得意ではないガブリーともよく英語でコミュニケーションを取っていた。

 

ワヤンより楽器の持ち主に許可が取れた、と教えてもらった私は翌日のレッスンで早速パッ・グスティにレッスンの申し込みを行った。

 

これで学校が始まる前に少しでも楽器が学べるし・・・と少しホッとしていた。

 

バリに到着して1週間程経ったところだった。

・・・そう言えば、そろそろ両親に連絡しなくて大丈夫なのだろうか。

大丈夫な事はないよな。

 

携帯電話もなく、インターネット環境も整っていない。

最寄りにあるのは電話屋さんのみ。

3分で500円くらいしたような気がするが、とにかく電話をして無事だと伝えなければならない。

3分電話するお金で出来立ての食事が5食食べられると思うと何だか悔しいが、とにかく電話はせねばならない。

何せ、何も知らずに来てしまったのでバリの何処の街に滞在するのかも伝えていなかったのだ。

 

友人たちと交代で、木で出来た電話ボックスのようなブースに入る。

自宅にかけると、まずは無関心そうな父が出た。

 

「生きてたか。」

「うん、とりあえず元気です」

「母さんカンカンだから、とりあえず変わるよ」

 

「・・・あんた、1週間も連絡を寄越さないというのは一体どういう事なの」

「無事に着いたら連絡寄越すのが筋じゃないの」

「電話代が高くてあまり連絡出来ないなと思って。すみませんでした」

「分かりました。とりあえず無事着いたのね。定期的に連絡寄越しなさいね」

「はい、すみません」

 

1週間ぶりの会話はこのように終了した。

 

しつこく言い訳をするが、2000年頃というのは丁度インターネットが人々の間で普及してきた頃で、PCもパーソナルになるのはもう少し時間が掛かろうかという頃だった。

 

少なくとも、今の大学生のようにバイトしてまず欲しくなる、買いたくなるようなものではなかった。iphoneなんてなかった。Macは当時からお洒落だったけど、持ち運びには適さないブラウン管テレビのような形をしていた。ノートパソコンはちょっとした贅沢品だった。

 

インターネットは有線だったし、写真ファイルを送るのは至難の技だった。

論文なんかはフロッピーディスク(知ってる?)に保存していたのだ。

 

今海外に行ったら上記のような連絡が取れないトラブルは開発途上国の中でも限られたところでしか起きないのではないのかな、と思う。

 

少なくとも東南アジアでは起こらないのではないのだろうか・・・インドネシアではきっとないだろう、現地で働いている友人の様子からも断言出来る。

 

とにかく明日からはガムランに少し近づく事が出来るのだ。

当初思っていたのとは違う竹のガムランだけど、楽しみだ。