バリに半年住んでいた時の話 その8 

ガブリーとのレッスンを覗かせてもらっていた事もあって、パッ・グスティとの練習は比較的スムーズに進んでいた。

 

1曲通して終えた頃、途中まで同じ音を叩いていたパッ・グスティが別のパートを叩き出した。

 

これは日本でガムランをやっていた頃にも体験した事がある。

コテカンというやつだろう。

 

一方で

「ネンノネンネノ」、と叩いている向かいで「ッノネッノッネノ」と叩き、

それらのリズムを組み合わせることで1つのリズムパターンが完成する。

「番い(つがい)リズム」だ。

 

「もしまだここでの時間があるなら、あなたの今叩いている「ポロス」に加えて、「サンシ」も覚えてみるといいよ」

 

簡単に説明すると、

「ポロス」は表拍で「サンシ」は裏拍だ。

ウブドでの生活も10日ほど経っており、残すところはあと4日程かというところだった。

 

「覚えてみます、ありがとう」

 

たった10日ほどの間だったのに、仲間内では気に入ったお店や行きつけのお店も出来たし、

タトゥー屋さんも怖くなくなったし、ガブリーやメアリという友達も出来た。

 

留学前、現地に行った際に特に注意すべき事について、学んでいた事が幾つかある。

バリ人に対してと現地にいる外国人に対してで異なる事は、いくつかあったと思う。

例えば

 

・頭を撫でない(特にバリの子供に対して。理由:精霊が逃げてしまうから)

・握手の際等に左手を使用しない(特にバリ人に対して。理由:不浄の手だから)

※今のトイレ事情は分からないが、当時まだまだトイレを使用した後に左手で水をすくってその水で綺麗にするという事もあり、左手は不浄の手とされ食事や握手では使わないように言われていた。

 

というものがあったが、恐らく万国共通の人に対してやらない方が良さそうだと解釈したものに

 

・政治の話をしない

・宗教の話をしない

 

というものがあった。

なので基本的に政治や宗教の話は避けるようにしていたのだが、ある時メアリとブッシュ元大統領の話題になった事があった。

 

現在のトランプ大統領ほどではないが、確か民主党と比べると右寄りに感じる政党だったと思ったし戦争もたくさん行っていたし、当時は主張が強い人だな、と思っていた。そしてブッシュ大統領が選ばれた際にメアリに「ブッシュさんは強かったね。アメリカでは支持されているんだね?」と聞いたところ、「オラン アメリカ ムンジャディ ボドー(アメリカ人は、バカになった)」と返って来て笑ってしまった事があった。

 

タブーはあるし仲良くなった友人とでも避けた方が良い話題や通すべき礼儀は勿論あるが、若者同士では話せる事もなくはなかったし良い経験が出来たと思っている。

 

今のテクノロジーや格安航空券が当時もあったら・・・と現在の若者を羨ましく感じる事も物凄くたくさんあるが、平和で親世代が普通家庭でも比較的自由にさせていてもらえ、戦争も国際情勢も今より穏やかでウィルスも今ほど新種のものが短い周期で出て来ておらず、良い時代だったのかなと懐かしく感じる事もあるのだ。

 

また、ガブリーはデンマーク人なのに英語がペラペラなので、何故なのか理由を聞いた事があった。すると、デンマークでも英語の話せない人はいるが大学生は大学で行われる授業が英語なので必ず覚えるのだ、と教えてもらった。

 

良い点悪い点それぞれあるのだと思ったが、実際後で出会った他の国の外国からの留学生を見ていても、特にヨーロッパから来た人々については皆英語でネイティブ並みの会話をしていたので、少し恥ずかしく思った。

 

その代わり、インドネシア語の発音は欧米人には特有の癖があり、日本人の方がバリ人に近い発音で話す事が出来た。

 

例えば、「いらない」という言葉。

インドネシア語では「tidak mau」という。

文章で書くと「ティダマウ」なのだが欧米の人は「ティダッキ マアウ」と発音する。

 

この辺は言語族なんかの違いを分析出来たら面白かったのだと思うが、何せ怠惰な方の大学生だった自分はそこを掘り下げる事もしなかった。

もったいない。。