バリに半年住んでいた時の話 その7
リンディックのレッスンを受けつつ、日々の生活も少しずつバリに慣れていった。
移動手段がほとんど徒歩だったので、狭い範囲ではあるが顔見知りも増えて来た。
少しずつ周りを見る余裕も出てきて、日本との違いも冷静に見る事が出来るようになった。
当時のバリと日本で違うな、と思った事は
街の様子
・椰子の木はちょっと裏道に行くと普通に生えてる
・歩道が歩きにくい、穴が空いてる
・朝はみんな忙しそう
・お祈りやお供えを毎朝必ずちゃんとする
・朝以外はめっちゃみんな話しかけてくれる
・タバコはバラ売りもしてくれる
・物の値段がお店によって違う。外国人料金は存在するので、仲良くなると良い。
・お店では飲み水やおしぼりは出ない
・ゴミめっちゃ落ちてる。ポイ捨て天国
・停電が割と頻繁にある。
・犬は汚れていて、追い立てられている事が多い。時々立派な犬が通ったな、と思うと連れて歩いてるのは絶対欧米の人。
住居の様子
・お湯は出ない
・湯船はない
・水道水は飲めない
・時々雨漏りもする
・結構大理石のような硬い石のスペースが多いので腰痛持ちには辛い
ゲストハウスから街の方へ行く時に必ず通る黄色いタトゥー屋さんがあった。
そこには、タトゥーの入った色黒のお兄さんたちがいて、ちょっと怖いなと思っていたので5回に一回くらい遠回りして帰る事もあった。
ある時ついに呼び止められてしまった。
一番怖そうなロン毛でヒゲの兄ちゃんに話しかけられた。
「お前たち最近よく見るけど、何してるんだ」
「バリの音楽や踊りが好きで、教わりに来たんだよ」
「俺はバリ人だけどそういうものを勉強しに来る気持ちはよく分からない。でも日本人は外国人の中でも好きだよ」
「どうして?」
「肌は少し白いけど、目も髪も黒いだろ、俺たちと同じ色だ。同じアジアだ。」
タトゥー盛り盛りで強面の兄ちゃんだったけど、この会話をきっかけに遠回りをする回数が10回に1回くらいになった。
ただ日本から来た大学生だったけど、ここで我々が悪い事をするとそれが出会った人たちにとっての日本人のイメージになってしまうから絶対に気をつけようね、という話を仲間たちとしたのもこの頃だった。
留学生という身分はその場にいる事は保証されているけれども、日本からインドネシアへの普通の留学生はアルバイトも出来ず何ともふわっとした身分だった。今思うと何と贅沢なと思うけれど、当時は心許なく心配だった。当時はまだ今よりも日本は金がある国だと思われており、その金のある国から悠長な学生が道楽のために来たと思われる事も心配だった。
まだ我々の顔見知りと呼べる人はワヤンとガブリー、ガブリーの友達のメアリ、パッ・グスティ、デワワルンのお母さんとお兄さん、行きつけの雑貨屋さんのお姉ちゃん、電話屋さんのおじちゃん、タトゥー屋さんのグデくらいだったけど、それでもこの地に来させてもらったからには、せめてきちんと生きていかねばという気持ちにさせてもらったのだった。