バリに半年住んでいた時の話 プロローグ その5

マクドナルドからさらに車を北へ走らせる事30分。

マクドナルドくらいまでは非常に平坦な道を快調に飛ばしていたのに、北へ進み山を上がって行くにつれ、どんどん道は凸凹になっていった。

 

我々が辿り着いた街の名前は、ウブドというところだった。

スペルはUbud。

日本人は「うぶど」と発音するが、現地の人々は「ウブッ」と発音する。

 

ウブドは芸術の村として有名なところだ。

さくらももこ先生の世界あっちこっちめぐりを読んだことのある方がいたらご存知だと思う。

有名なガムランの楽団や舞踊団、バリ絵画、彫り物。

ウブドのすぐ近くにはチュルクという銀細工の村もある。

 

バリはビーチのイメージがとても強いところであるが、ウブドのメイン通りを少し外れると美しい田舎道が姿を現し、欧米の観光客からは特に愛されているようであった。

アジア人の姿はメイン通りでばかり見たが、欧米の観光客がロンリープラネットを片手に田んぼ道を歩く姿はよく目にした。

高級ホテルとして有名なアマンダリやピタマハ、イバホテルもウブドの田んぼの方にあった。

 

我々がしばらく滞在する事になったのは、ウブドのチャンプアンという地域だった。

 

コテージのような作りの宿に着くと、管理人のワヤンを紹介してもらった。

ワヤンは犬のような人の良さそうな顔をした、住み込みの管理人で若い青年だった。

 

我々を管理人のワヤンに紹介したところで、先生と迎えに来てくれた強面のおじさんたちはデンパサールへ戻って行った。

 

宿にはガブリーというデンマーク出身の女の子が先に長期滞在していた。

私はまだインドネシア語が覚束なかったので英語の堪能なガブリーとは英語でコミュニケーションを取っていた。

 

一緒に行っていたメンバーは私よりはインドネシア語がよく分かっていたので、ワヤンとインドネシア語でコミュニケーションを取っていた。ワヤンは英語が堪能だったが、バリ訛りの英語だったので私にはあまり聞き取る事が出来なかった。

 

ガブリーに我々がバリの舞踊や楽器を習いに来た事を話すと、ガブリーが習っている先生が丁度舞踊も楽器も出来る先生だという事で、翌日の練習を見せてもらえる事になった。

 

そうこうしているうちに夜になってお腹が空いたが、まだバリという地に慣れずびびっていた我々は、田んぼの真ん中の宿から5分ほどメイン通り方面に進んだ所にある小さな商店でパンらしき物を買って来てポソポソと食べ、深い眠りについたのだった。