バリに半年住んでいた時の話 プロローグ その3

ガムランに魅入られてからはのめり込むのも早かった。

 

それまで授業で教材としてボーッと見ていただけだったビデオも面白い。

先生が熱く語っていた謎の専門用語も面白い。

先生がふざけてやっていた(と思っていた)口頭伝承も真面目に聴けるようになった。

 

大学最後に、4人まで留学させてくれるご褒美的な制度が残っていた。

現地でガムランを習いたい私と、踊りを習いたい3人が希望して丁度4人。

 

成績が基準値以上に達していないと行けない事になっていたが、まずいと思っていた私も含めてみんな無事に合格。

 

現地のATMでお金をおろせると言われて作ったシティバンクのカード、念のため現地の地図が日本語で書いてある「地球の歩き方」、それからそれぞれスーツケース1つ分の荷物を持って、オープンチケットを持っていざ成田空港へ。

 

空港でそれぞれの家族や友人たちに見送られながら、出国ゲートをくぐる。

 

大人になってだいぶ経った今は、大した期間外国に行くわけでもないのに人にそそのかされてお寿司を食べて日本に別れを惜しんでみたりするけれど、学生の頃は全くそんな気持ちにならなかった。

 

学生だった我々はトランジットで寄ったシンガポールでもテンションが高く、少しでも現地のものに近い食べ物を食べたくて辛いものに挑戦してみたりした。

 

直行便なら7時間で着くところ、節約してトランジット便を選んだ為に14時間かけてングラライ空港へ。

 

またしても現地の人のような顔になった先生と、今度は現地で迎え入れてくれる学校の先生方が迎えに来てくれていた。

 

長時間のフライトでフラフラで辛いものを食べてお腹を壊した私は、絶不調のまま迎えの車に乗り込んだのだった。